COMMON CROP / APPLE

りんご

平安の和りんごとは別系統。明治4年の75品種が産業の始まり

01 / ARRIVAL

日本へ入ってきた時期と経路

年代の確からしさは、遺跡の出土によるものと、文献に記されたものとで違います。どちらの根拠なのかを区別して記録します。

時期
1871年(明治4年)西洋りんごの導入。和りんごは平安時代中ごろ(918年)に名が記録されている。
根拠の種類
文献
経路
中国から渡来した小果の「和りんご(地りんご)」が先にあり、明治4年に開拓使がアメリカから75品種を輸入して西洋りんご栽培が始まった。

日本でりんごの名が記録されたのは平安時代の中頃(918年)だが、それは中国から渡来した粒の小さな「和りんご」「地りんご」と呼ばれる系統だったとされる。現在の産業を支える西洋りんごは別系統で、1871年(明治4年)に開拓使がアメリカから75品種を輸入し、内務省勧業寮試験場を中心に苗木が全国へ配布されて試作が行われた。青森県へは明治8年(1875年)春に内務省勧業寮から県庁へ苗木3本が配付されている。その前年の明治7年には、米国人宣教師ジョン・イングがクリスマスに教え子へ分与したりんごが、西洋りんごとして初めて青森県に紹介されたと伝わる。

  • 和りんご(地りんご)信州では「高坂りんご」と呼ばれ、お盆に善光寺で売られたと記される。

02 / LINEAGE

品種の系譜

産業の出発点は明治初期に導入された外来品種で、なかでも国光と紅玉が長くりんご産業を支えた。戦後、農林省園芸試験場東北支場(青森県藤崎町)で国光にデリシャスを交配した「ふじ」が育成され、1962年に命名・登録されて主力が入れ替わった。以後は「ふじ」自身が交配親となり、北斗のような後続品種が生まれている。

  1. 918

    和りんご(地りんご)

    在来

    中国から渡来した粒の小さな系統。平安時代中頃にりんごの名が記録された対象はこれであり、明治以降の西洋りんご産業とは系統が異なる。

    918年に名が記録

  2. 1871

    国光

    導入

    開拓使がアメリカから輸入した75品種のうちの一つとされ、紅玉とともに日本のりんご産業を支えた。のちに「ふじ」の種子親となる。

    1871年(明治4年)導入

    この先 ふじ へ合流する

  3. 明治初期

    紅玉

    導入

    国光と並ぶ明治導入の外来品種。酸味が強く加工向きとされ、長く主力を占めた。

    明治初期 導入

  4. 1939

    ふじ

    交配育成

    国光

    1938年4月に開場した農林省園芸試験場東北支場(青森県藤崎町)で、1939年に「国光」のめしべへ「デリシャス」の花粉を交配して育成された。1962年3月に「ふじ」と命名され、同年4月にりんごの農林1号として登録された。

    1939年交配/1962年 命名・りんご農林1号登録

  5. 1983

    北斗

    交配育成

    ふじ

    「ふじ」に「陸奥」を交配して育成された品種として記録される。ふじ以降、日本育成品種同士の交配が進んだ例。

    1983年(昭和58年)品種登録

03 / NOTES

覚え書き

統計上の定義や用途の区分など、数字を読むときに前提になる事柄を残します。

始まりは政府主導の苗木配布だった

明治4年に開拓使が輸入した75品種は、内務省勧業寮試験場を中心に全国へ苗木として配られ、各地で試作された。青森県が最初に受け取ったのは明治8年春の苗木3本である。産地は自然発生ではなく、国の配布と各地の試作の結果として絞り込まれていった。

「農林1号」という位置づけ

「ふじ」は1962年に命名されると同時に、りんごの農林1号として登録された。国が育成した作物品種に付す農林番号の第1号がりんごの「ふじ」であり、国立試験場による果樹育種の成果が主力品種を入れ替えた事例にあたる。戦後の復興を経て、王林・ふじ・つがるが主力品種として台頭したと記される。

04 / EXPLORE

つづきを、たどる。

この作物の収穫量の推移は統計の索引に、土地に根ざした品種は在来の台帳にあります。